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■東ヨーロッパについて
東ヨーロッパ(ひがしヨーロッパ)は、東欧ともいい、ヨーロッパ東部の地域を指す。 1989年頃まで、ヨーロッパの共産主義圏と中立国かつ緩衝国だったオーストリアおよびフィンランドを指して「東欧」と呼んでいた。最近になってそれらの国々の一部は中欧に含まれている。 国際連合の統計局ではこれら旧共産圏の国々は「東欧」に含まれている。国によっては、一部を(旧共産圏 東側諸国のポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーなどを)「中欧」に含めている。
ポーランド、スロバキア、チェコ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、旧ソ連、モルドバ
、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア、ジョージア(旧称グルジア)、アゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン(wikipediaより抜粋)
東ヨーロッパは日本と深い関係にあります。第二次世界大戦や1991年のユーゴスラビア紛争等を通して東ヨーロッパの人々は日本の政府やボランティア団体に度々助けられました。
▶ボスニアでの記事 http://sugimaruko.blog.so-net.ne.jp/2009-05-17
▶セルビアでの記事 https://www.youtube.com/watch?v=nWgBRR944KA
暖かく義理堅い人々が多い東欧ではそのような行いを忘れていません。日本に対してのイメージは凄くよく西欧よりも親日派が多いのです。
経済的にも成長を遂げており様々な日本企業が進出しております。
▶三菱での例 http://www.murc.jp/thinktank/economy/analysis/research/er_080908.pdf
■地中海と日本との関わり
地中海と日本の関係は、中世まで遡ります。
教科書でも有名なマルコポーロがその第一人者です。地中海の小さな島 ¨コルチュラ島(クロアチア)¨ で生まれ、ヴェネツィア都市国家(現在のイタリア)に住んでいた彼は、バチカン法王の命により中国まで遠征することになります。それが俗に言うシルクロード、絹の道の始まりなのです。
その当時マルコポーロの広めた日本に関する噂は世にも有名な黄金の国ジパングでした。
シルクロードの最西端では中世の頃からある種の興味と憧れがあったのです。
西ヨーロッパの列強はアジアでの貿易をすることによって、日本の情報も的確に掴んでいきましたが、海軍を持たない国のほとんどであった東ヨーロッパでは日本の情報はいつの時代も黄金の国ジパングに結び付いていたものがあります。
今でも東ヨーロッパでは日本を幻想的に捉える傾向があり、未知なる世界への興味と先進国の中で最も文化の遠い国として大きな興味が存在します。
今でこそ飛行機で半日もあれば着けるようになりましたが、東ヨーロッパでは日本の古き良きところを好きな人たちが多く、日本の文化に触れることを渇望している人たちが大勢いるのが実態です。
■MATANKAについて
2016年初冬、クロアチア共和国の古代都市ドブロブニクを拠点として設立しました。
東ヨーロッパで活躍する日本人のサポート、日本文化の紹介、日本の環境問題への姿勢や技術の導入等がおもな活動となります。
ドブロブニクの日本文化センターは大使館と共に文化活動を支援しており、ドブロブニクの公害問題などの取り組みにも貢献しております。
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MATANKAという名称の由来は、クロアチアで人の名前を憶えやすく親しみを持てる言葉、そして日本語で「ちょっと待て」という意味を掛け合わせできた名称です。
なぜその言葉を使ったかというと、ドブロブニクの環境問題や公害に待ったをかけたかったから。勢いで付けた名前ですのでクロアチアで使うことを想定しており、まさか日本で使うことになるとは思ってもみませんでした。ですがこれからはこの二つの意味を持つMATANKAという名前を日本と地中海のどちらでも広めていくことに奮闘していこうと思います。
■代表プロフィール
ユーゴスラビアのサラエボ冬季オリンピックで有名な年である1984年生まれ。
日本人、クロアチア、アフリカ、インドネシアと様々な文化を持つ。国籍は日本。
2021年コロナイヤー
現在は京都に住み、日本文化の中心地点から様々な企画を発案。
義務教育をクロアチア、日本、ドイツで経験。大学はクロアチア。
観光業から企業や大使館など、様々な機関と携わりながら東ヨーロッパに活動を広める。
旅行会社を立ち上げ、日本人がクロアチアを知ることに貢献する。
旧ユーゴスラビアの歴史を学び、日本とのつながりに感銘を受ける。
日本交流基金とも協力し、日本語学校を設立。日本文化の発信等になる。
NPO法人MATANKAを設立前は、身体障害者センターでのボランティア、老人ホームでのボランティア、孤児院でのボランティア、など様々なボランティア活動を行う。
俳優と役者活動を通してバルカン地方の色々な村を周り自身をつかって子供たちに世界の広さや素晴らしさを伝え視野を広く持つ事の重要性を伝え歩いた。
日本人の少ない土地だからこそ出来る事は多く、日本関係の報道局、撮影隊、出版社などと20代から仕事を任される。
日本では新しい団体‘新世界より‘を設立。一般社団法人日本クロアチア協会と共により一層の文化活動に努める。